淡成書道会の歴史

歴史ダイジェスト

 淡成書道会は1934(昭和9)年に創立しました。当時は、東京商科大学(現一橋大学)の入試科目に毛筆による作文があったり、書道の授業があったりと書道教育が重視されていたようです。この時、書道を教えていたのが杉山三郊(さんこう)先生で、すでに80歳をこえる超ベテランの教授でした。
  この杉山先生の下で課外でも書を学びたいと、先代の講師である丸山先生をはじめ学生同士が集まってできたのがこの淡成書道会です。杉山先生を会長として1934(昭和9)年1月に発足し、当初の会員は60名に及んでいました。
  そして60年以上の時間を経て、現在は学生のみならず、卒業生や大学職員の方々と共に淡成書道会の伝統を受け継いでいます。

「淡成」の語源

 淡成書道会の「淡成(たんせい)」という語は、中国の古典『礼記』の中の「君子之交淡如水、小人之交甘如醴、君子淡以成、小人甘以壊」という文からとったものです。一橋大学の同窓会組織である「如水会」の名に対応するように命名されました。

講師

現在は、先代講師である丸山先生のご指名を受けて、淡成書道会卒業生であるOBの方が、私たちを指導してくださっています。土曜日の練習(例会)と、相模湖の合宿でご指導をいただいています。
歴代の講師は以下の方々です。

  • 杉山三郊先生(故人)
  • 田代秋鶴先生(同)
  • 西脇呉石先生(同)
  • 松本聴濤先生(同)
  • 丸山鑾渓先生(同)

書道部(淡成書道会)創立の由来

以下の文章は、平成九年度一橋淡成書道会名簿に丸山先生が寄稿された「淡成書道会創立の由来」です。

 私が昭和8年に本学予科に入学した時には、入学試験に作文があり而も毛筆で書かせられた次第で、本学が伝統的に書道を重視していたかが分かるであろう。所が入学して見て驚いたことに、杉山三郊先生という80歳をこえた老翁が矍鑠としておられ、実に50年の長きに亘り本学の教授或は講師として学生を指導して居られたから、自ずから書に力が入ったものといえよう。
 予科1年の時にまず教わったのが雁魚帖で、先生独特の格調高い書風、及び古今独歩といわれる名文でかゝれた手紙文のコロタイプ版であったが、たゞたゞ感嘆する許りで一寸やそっとで読めるものではない。それをいきなり教材として使用したので、クラス一同すっかり参ってしまったが、ともかく懸命に頑張ったので字もよめる様になり、手紙文の要領もつかむことができ、先生の含蓄深いご講義と相俟って、得る処、寔に大なるものがあった。
 この様な立派な先生が居られるので、課外に書道の研究会を作って更に更にご指導を仰ぎたいと思い、その頃学部におられた島田隆祐先輩のよきアドバイスもあり、川辺、田中両君とも語らい、杉山先生の御宅へ伺ってご意嚮を伺ったところ大へんに喜ばれ、本来ならば自分が直接お相手をしたいが何分にも老齢のこと故、学校の授業で精一杯であるので君が今迄ついて来た田代秋鶴君がよかろうと推薦して下さり、会長杉山三郊先生、講師田代秋鶴先生という陣容で昭和九年一月に発足した。当初の会員は、実に60名に及んでいた。
 淡成の語源について一言すれば此語は礼記に「君子之交淡如水、小人之交甘如醴、君子淡以成、小人甘以壊」の語よりとって淡成会と命名されたもので如水会の名に対応するものである。
 淡成書道会は其後故西脇呉石先生、故松本聴濤先生(いずれも杉山先生ご推薦)とうけつがれ、今日に及んで居るが其間若干の栄枯盛衰はあったが、杉山先生をはじめ講師諸先生の献身的なご指導とOB、役員、部員諸氏のあふれる情熱により連綿として今日に及んで居る。願くは昭和9年1月発会式において、杉山先生が強調されたお言葉即ち「始あらざるはなし、克く終りあること鮮し」の語を肝に銘じ、杉山先生の崇高な指導理念と格調高い高次元の書風を本学に永遠に伝え、併せて古法を基調にした書の本筋を探求し、歴史と伝統に輝く書道部(淡成書道会)の一層の向上発展を期待してやまない。
(鑾渓記)


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